雑KiN3-改

ここは自分にとっての過去ログです。すなわち、他人にとっては単なるゴミ。

 昨日のカタツムリは判りづらかったようだが、元ネタは「海潮音」だ。該当部分を引用すると

 春の朝     ロバアト・ブラウニング

時は春、
日は朝(あした)、
朝(あした)は七時、
片岡(かたをか)に露みちて、
揚雲雀(あげひばり)なのりいで、
蝸牛枝(かたつむりえだ)に這(は)ひ、
神、そらに知ろしめす。
すべて世は事も無し。


という。今は春かと言われると、一ヶ月ほど前には新春と名の付いた番組が多く放送されていたことだし、と開き直る。這っているのは枝だが、、、ええと、、、神が天なのでカタツムリは地だったなと、まぁ、記憶違いだ。で、言いたかったのは最後の行で、即ち、「何も無かった」と言うことだった。


 さて、今日は日フィルの東京定期。指揮はシズオ・Z・クワハラ。1976年東京生まれ。両親ともに日本人。10歳のときにアメリカに移住とある。最初の曲の指揮を見て、曲がエネルギッシュなこともあるんだが、体格の良さとパワーに圧倒される。留学した友人もそうだったが10代でアメリカに一年でもいると、みんな体格が良くなるような気がする。曲はW.シューマンの「アメリカ祝典序曲」だったが、印象に残っていない。騒々しい曲だという程度。初演で大成功を収めたと言うが趣味が違うのう。次の曲はライヒ。「管弦楽・弦楽器とキーボードのためのヴァリエーション」。舞台の上にはスピーカーが2台、ややずれて設置されるしキーボードは3台。木管の前を中心にあちらこちらにマイクがおかれている。ピアノは2台。ふたは小さく開けられる。これらのセッティングだけでも興味津々だ。キーボードが同じ音形を繰り返し弾く。その上に管や弦がクレッシェンド、デクレッシェンドする音形を被せる。フォルテ時は同じ音形の繰り返しがマスクされかかるので、管や弦が主になるかと思えばデクレッシェンドする。キーボード等の奏する音形はゆっくりと変化して行く。聴いていると浮遊感があるな。曲間の休息時に、こんなのはCD買うなんてことはあり得ないと言っている人が居たが私は逆にこれが欲しい。しかし出ているかな?休息後の3曲目はストラヴィンスキーの「春の祭典」。こんなつまらない曲だっけ?という感じがした。半分以上寝てしまったようだ。


 帰宅のコースは溜池山王にした。六本木まで歩いて大江戸線というのも考えたのだが。そのコースで帰宅するのも今日が最後だろうし。でも、歩く気力が失せた。四谷まで歩くと言うのは最初にちょっとだけ頭をかすめたな。銀座線で一駅、丸ノ内線で新宿まで。定期だとJRに乗り換えるべきなんだが面倒になってバスにする。ずっとさっき聴いていたライヒなどが頭の中でなっていた。ライヒは《クラッピング・ ミュージック(手拍子の音楽)》をやったときも面白かったが私に向いているのだろうな。