雑KiN3-改

ここは自分にとっての過去ログです。すなわち、他人にとっては単なるゴミ。

母親には休暇であることを言っていない。家を出て何処に行こうかと歩き始める。某反省会の幹事の家の傍を通ると車が無いから何処かに出歩いているのだな。確か59歳で早期退職して生涯学習学校に通ったりしてしていいたな。こちらはまだまだ働かないとなぁ。そこそこ歩いて満足し、これからどうしようかと言う処で成増方面行きのバスが来た。乗ってみた。成増では東の方へ行こうかと思ったら赤羽行きは前に乗ったことがある。高島平へは行ってもな。と言うことで寄居方面を目指してみた。TJライナー用の車両が来たがロングシート扱いだった。森林公園で乗り換え。やって来た川越特急小川町行は同じくTJライナー用だったが、こちらはクロスシート状態。小川町で寄居行きに乗り換える。逆方向からはその昔のオレンジとチョコレート色の塗装の8000系。最初の記憶にあるのがこの色だからな。ベージュのはその後だし白と青い線のは更に後。それにしても東松山当たりから人家の少ないところを走るのだな。小学生の頃に全線乗りつぶしをしているが記憶に残っていない。あの時は寄居からどうやって帰ったのだっけ。多分、お花畑から西武で帰ったはずだが。

 

 

で、寄居です。秩父鉄道交通系ICカードが使えないのか。寄居駅には何もない。駅の外にもコンビニとかも無い。交通結節点なのにな。乗り換え待ちに時間を潰すことも出来ず。早めに秩父鉄道のホームへ。ちょうど貨物列車が来た。ELは兎も角、緩急車が琴線に触れるものがあったが惜しくも写真に撮りそびれ。ホーム上のトイレを使ったが意外と綺麗。清掃がちゃんとなされているなぁ。やって来た羽生行きはアニメ柄。車外だけではなく車内まで貼りまくっている。ワンマンカーだから駅で止まっても直ぐにドアが開かないので最初は違和感が有ったがそのうち慣れた。羽生では駅の外にコンビニが有ったので食料を購入してホーム上で食べる。人が居ないから出来ることではあるな。館林行きにのり茂林寺前で降りる。ぶんぶく茶釜で有名だが駅は人気も無く、寺の駐車場も空。コロナだからだろうな。境内には狸の像が多数あり。裏の湿原を経由して館林まで歩く。14時くらいなのでそこそこ暑い。いいトレーニングになった。

 

 

館林では浅草に出るか逆方向へ行ってみるかでしばし悩む。どちらに行くにしても20分以上待たないとならない。小泉方向へ行くと言う手もあったが、一駅乗り潰せないのだな。太田行きに乗ることにする。赤城まで乗り潰してみるかと。太田はその前後の駅からすると想像を絶する。駅も街も。流石はSubaru企業城下町。しかし、ここから本社が有った新宿や現在の恵比寿に行くのは大変そうだな。太田からは特急「りょうもう」に乗ったが末端区間でもありかなり丹念に止まってゆく。乗っている号車に居たのは私一人だったが。上毛電鉄では旧京王3000系。運転席かぶりつきの席に乗れると思ったらワンマン改造で席自体が無くなっていた。農村地帯を前橋に向けて走る。中央前橋ではJR前橋駅までのシャトルバス。観光用の作りだな。木造ダブルルーフを模したバスだった。内装も木製。観光が可能になったらまた来てみても良いかも。

 

高崎までは211系で立ったまま。高校の帰宅時間にぶつかった。高崎からは新幹線。E2系。コロナ前に軽井沢往復したとき以来か。いや、もっと遠くへ行きたい。コロナが終息したら反動で出歩くことだろう。