雑KiN3-改

ここは自分にとっての過去ログです。すなわち、他人にとっては単なるゴミ。

ゴミ屋敷の片づけは続く。漸く親父の主たる部屋に取り掛かれるところまでたどり着けた。しかし一昨年の入院以来足腰が弱ったこともあって一年以上この部屋で生活して居なかったからその間にあっという間にゴミが山積みで重要そうな物が入っていると目される箪笥が開けられない。弟と二人でとにかく開けられるようにしょうと片づけていたら父親のケアマネージャーを頼んでいた方が訪問してくれたので出てゆくとほぼ同時に知り合いが弔問に来たところだった。顔を合わせるのは30年ぶりかも。まずはケアマネージャーさんと弟と二人で話をしばし。次は母親をお願いすることになるのだけれどと言ったら、まずは要支援1でもついているなら色々と支援できるとのこと。と言って、本人はまだ元気に歩き回っているからな。当分は無理だろう。しかし一人で家に居るよりも出歩いた方が良いのだが。出不精だからなぁ。何もしないでいるとあっという間に衰える。その前に痴呆化が来る可能性が高いが。ケアマネージャーさんが辞去してから知り合いと雑談。姉妹二人で来てくれたが妹の方が老けた感じがするのは何故だろう。髪とかは黒々としているのに。いや、人のことは言えないのだが。


その最中に連絡不能だった親戚から電話が有った。九州旅行に出ていたとかで今日まで連絡に反応できなかったらしい。明日来てもらうことになるが今日で忌引きも終わりなので母親に対応して貰おう。


帰宅して夜に何か弔いの音楽をと思い、フォーレのレクイエムを出してきた。たまたま数日前にコルボの演奏がしみじみして良い感じだと言うのを見かけたので手持ちの中から1972年にベルン響と ERATO に録音したものを引っ張り出してきた。だたこれは太古の昔の Editions Costallat と言っていた時代の ECD88126 という番号の CD なので音はそれほど期待していなかったが、それでも雰囲気は良く判る。遅めのテンポで荒立てずに穏やかな演奏が繰り広げられ、しんみりしたい現在の気持ちに沿った演奏だった。落ち着いて眠れそうだ。なお、SACD が出ていたのだな。これもそうだがクリュイタンスのも入手し損ねている。趣味にリソースを割けない時期に出たからと言うのもあるのだが。手持ちに何枚もあるから SACD は無しでも構わないと思っていたような。今から考えると入手できなくて残念だ。