雑KiN3-改

ここは自分にとっての過去ログです。すなわち、他人にとっては単なるゴミ。

朝はすぐに事務所に向かうか洗濯してからにするかしばし考え込んだが、やれるときにやっておかないと痛い目に会うかもと思い洗濯した。休日にしか池袋にやって来ない西武4000系に乗って見たかったのだが。これもそろそろ乗っておかないと廃車になってしまいかねなくなってきたからなぁ。


事務所に行く前に池袋でジュンク堂。技術書を買うには大きめの本屋でないと。ネットで発注するのは内容が分かっているもののみ。ASP.NETの本を探したんだが2013年頃が最新か。トピックにないとあっという間に本が出なくなる。海外だと継続的に本が出るのだが。手頃なのを見繕って購入。池袋駅構内で食事をし、事務所には昼過ぎに到着。シャッター開けて鍵を開けて機械警備を外す。それから30分弱、作業をしてから退出。入った時の逆で警備をかけるのから始めるのだが、外すのはしょっちゅうやっているので問題無いがかけるのは初めてだ。かけてから一分ほど様子を伺っていたが特に面妖な音は聞こえて来なかったから大丈夫だろう。


その後、実家に行くと鍵が開いたままで人の気配が無い。普段だと両親がテレビを見ているんだが、たまに母親が買い物に行っていることがある。今日もそうなのだろうが、では父親はと思い、まずお茶を入れてから探しに行くとあっさりと判明。トイレの前にスリッパがあった。ということで、テレビを付けてお茶を飲んでいると母親が帰って来た。座ると喋り出したなぁ。財布が無くなったと思い込んでから出歩かなかった父親だが月曜日だかに自転車に掴まる様にして意味のない物を買いに出歩いたらしい。しかしそこで転んでしまい、救急車が呼ばれてしまった。家に居た母親に電話がかかってきたそうで慌てて様子を見に行ったらしい。そこで救急隊員に自転車に乗らないようにしてくれと言われたそうな。と言ってもうちの親父様がおとなしく母親の言うことを聞く訳がない。たびたび救急車が呼ばれることになるだろう。


実家を辞去しようとしたら電池を買って来てくれと言うので買って来て渡したら自分が頼んだことを忘れているような反応をする。それと外から部屋の中に声をかけたからか私が誰だか分からないような反応だった。そろそろ本格的に危なくなってきたかな。施設に入れることは訪問介護の人に由るとまだだそうな。多分、自力で身の回りのことが一通り出来るからと言うのと、それなりに受け答えはまともに行えるからだろうな。


辞去後、電車で移動。環七最寄りで降りて北へ向かうバス。友達のところへ行ってまとめ買いしたお茶を引き取るのだな。到着するとあちらは想定していたのよりも早く着いたので慌てていた。山手線経由よりも20分以上早かったからなぁ。引き渡してもらったらその後は食事会と言うか八王子の方で集まってカレーを食べる会をやるからと言うのでそのまま連れて行かれる。参加者の何人かは顔見知り。それにしても”おそまつさん”の話題があれだけ出るとは。帰りは橋本から相模線と思ったが時刻的に遅くなるので相模大野まで送って貰って小田急江ノ島線経由。相模大野はビルは林立するわ、駅前は整備されるわ、その上にはペデストリアンデッキはかぶさるわ、で大変貌していた。考えてみると乗り換えしたり通過したりはしていたが降り立つのは20年以上前が最後だったな。車で駅前を通り過ぎたのも16年くらい前が最後だ。いや、車と言う足が無くなって16年近く経ったのだな。ううむ。