雑KiN3-改

ここは自分にとっての過去ログです。すなわち、他人にとっては単なるゴミ。

 山陰道から米子道を走り南西側からのアプローチとなりました。カーナビの指示は。北側からの方が短距離のようでしたが、何が影響したのやら。8時半頃には既に駐車場は満車に近い状態。ちょっと離れたところの道路の路肩にまで止められています。更に離れたところに有る駐車場に何とか止められる場所を確保して登る準備。一枚上に着込む。どれくらい冷えるか見当がつかなかったものでして。この駐車場から頂上付近がよく見える。なかなか綺麗だったので一枚撮ったけれど、自宅に帰ってから見ると、それほどに見えなかったのは残念。


 登山口と案内が出ているところから登り始めました。登山口で標高が740mくらいだったかな。最初は寺の敷地内の参道の上り道という雰囲気。石段を上がって行く。そして、途中から山の公園と言う感じになり山道という感じとなる。いずれも杭と板で階段が作られている。そこを三連休でどっと詰め寄せた人達が上り下りが交錯する状態でいるし、そのうえ後ろから早く登ってくる人達を待避して先に行かせたり、上からの人を下ろすために待ち合わせたりで中々ラッシュな感じ。おまけに降りて来た人に尋ねると階段は山頂までずっと整備されているそうで自分の歩幅で歩けないから階段は嫌われていました。


 だんだんと登って行き標高が1300mくらいになると遠くが見渡せるようになります。船上山を越えて日本海。余り水田は見当たらなかったような。伯耆大山の山裾は日本海まで広がっているからか?土壌の問題か、水の問題か。とにかく米を作っていないように見えるのは珍しい気がする。1600mあたりまで登ると高木が無くなりました。この辺りでバテて、先に行ってもらってしばらく休む。遮る物の無い直射日光を浴びて。日焼け止めを持って来るのを忘れていたので、後で酷いことになるだろうなと覚悟しましたが、それほどでも無かったのは拍子抜け。5分程休んでまた登る。この辺りは頂上の平坦部と言って良いようなところなので板道になっている。12時過ぎに頂上。辺り一面人だらけ。500人以上は居たはず。それも関東や信州の山では見かけない若い人が多かったことは不思議。


 日本海島根半島を見ながら昼食。空は晴れ上がっているが下界は時刻に応じた薄霞む感じ。行くかどうか迷ったが来て良かったと思う。腹ごしらえも終わりそこそこ休めたので記念写真を撮って避難小屋を見て下山開始。この頂上も冬場は二階建ての小屋が埋もれるほど雪が積もるらしい。下山は行きとちょっと違う頂上散策コース(?)を経由したら余計に降りるらしく、しばらく上りが発生してしまった。そして本格的に下りにかかったら午前中と異なり上りの人は少なかったので多少は楽になった。それでも、これから登る人達って降りる頃には真っ暗になるんじゃないかな。上の方で泊まれるところは少ないんだが。


 降りて行くうちに膝に障害が発生。階段を下りるので気をつけていたんだが、それでも無理が蓄積していたらしい。靴が登山靴じゃないからと言う意見が年寄りから出てきたが、それは違う。身体の歩行衝撃についての知識が無いからそういう意見が出るのだろう。出来れば地下足袋のようなものの方が、滑りに気を使わなくて済むので歩き易い。登山靴は滑り止めが貧弱な物が多くて足に無理がかかってしまう。あれは、本当に高い山に登る時の物だと思う。階段の衝撃の方が何倍も危険。降りて行く途中で、同様の状態になった方が何人も居て「笑い事じゃないですよねぇ」という付き添いの方も居たが笑い事ですって。しかめっつらしいことをしてみせても直る訳ではないし。笑い飛ばしていた方が気が楽になって痛みも忘れるかも。


 そうこうしてゆっくりと降りているうちに階段の踏面の高さの差が一定になって来た。こうなってくれば、足の形を固定したままで降りて行けるので速度が段違いに早くなる。あっという間に下まで降りて行って駐車場に一番乗り。15:40頃。ここで別れる予定なので店を広げて荷物のリパッキングを始める。自分の汗で臭いし、早く風呂に入りたい。


 他の人達も降りて来た。まだ全員ではない。やはり足を痛めてゆっくりとなった人が居る。ここでリーダーが、バスで帰れと言い放ってくれる。米子まで送って往復30分程度消費するのは他の4人(車には5人乗りでした)の時間は貴重なので無駄だからと言う。判らんではないが、自分がさっさと酒を飲みたいからというのが明白で、他のメンバーからも非難されている。こちらとしても米子まで送って貰わないことには身動きが取れないので必死。結局、文句を言いながらも送ってもらえたが、こういう効率第一みたいな振る舞いをしていると自分に利用価値がなくなったときには他人から容赦なく見捨てられても文句は言えないだろうと思う。まぁ、それは置いておいて。5人と言う単位で時間の損得を計ると、18:30頃にバスが有ることが後で判った。私一人を置いてゆくとバスまでの待ち時間が3時間弱程度であるから、5人で3時間のロスタイムとなる。これで私を送ると30分×4で120分だからロスタイムは2時間。すると5人単位でみると私を送った方が合計のロスタイムは最少になることが判る。


 すったもんだはあったものの米子駅まで送ってもらいホームに直行。松江までの足として特急「やくも」に乗る。時間があったので駅蕎麦で腹ごしらえ。店員のおばちゃんと大山に登ってきたという話をしながら。「やくも」はうっかりと喫煙の自由席に乗ってしまった。臭いな。でも、我慢出来ない程ではない。自分が違う意味で臭いし。あいこだ。「やくも」の381系は初めて乗る。振り子式というカーブでも飛ばせるタイプ。窓が二重ガラスのようになっていた。そう言えば登場時にベネシアンブラインドだったはずだが、故障多発で単なるカーテンに変わったという話を聞いたような。30分もしないうちに松江に着く。


 宿は松江大橋の北側。バスで移動。バスにも慣れてしまった。時間はどこで見れば良いか、乗り場はどれか。大橋の北側でバスを降りると太鼓の音のようなものが聞こえてくる。どこから聞こえてくるのだろうと歩き回ると堀川の遊覧船乗り場の南に広場があって、そこで直径が2mくらいありそうな、子供用のプールをひっくり返して置いたような形状の太鼓を叩いていた。そう言えば来週(10月の18、19日のどっちだっけ?)は松江祭鼕(どう)行列だという。1700年代の前半に都から伏見宮家の岩姫が松江五代藩主松平宣維の後妻としてお輿入れしたときに大太鼓をたたいて祝ったのがはじまりという祭り。太鼓2台を鼕宮にのせ、ねじり鉢巻ハッピ姿で 叩きながら練り歩くと言う。どうやらそれの練習らしい。見てみたいものだが来週また来る訳にもいかん。来年以降だのう。


 とにかく明るいうちに松江の宿までたどり着けた。宿自体は一昔前のビジネスホテルだな。チェックインしてまずは風呂。驚いたことに松江宍道湖温泉からの引き湯らしい。毎度おなじみの温泉成分表が部屋のユニットバスの中に掲示してあった。下着などを洗って部屋の中に干す。そのためのロープ等は持って来ている。出張用のセットだが。その後は荷物の整理。明日は身軽になって歩きたい。後はどこに行くか。悩む悩む。そうこうしているうちに眠くなって夜食抜きで20時半ごろには寝てしまった。